TK工業代表 溝内健三
19歳から鉄工所に勤務し大阪府堺市に2015年に溶接屋として『TK工業』を開業
TK工業の仕事とは
長くなりますが、今迄の私を知ってもらいたいです
『自分に自信がないのが嫌だった』
社会に出て『これは違うだろう』・『こうすればいいのでは』と感じても、若い時の自分は『自分に自信がなく』=『話すことも苦手』だった。だから『何も言わない・知らないフリ』をして会社でもプライベートでも過ごしてきた。
それでも『会社員』と言う組織の中で生きて行く歯痒さを感じながらも、『独立』へ踏み出せなかった。そんな時『失敗する事を考えたら動けなくなる。考える前に動くべき』と言う既に独立している友人の声に後押しされ独立を決意
『2015年開業』
溶接の火花・ビード・家族4人をイメージした看板ピンストライパー big sign氏作
会社名『TK工業』は2人の息子と亡き両親の頭文字。
溶接には正直自信があった。それでも、必死にこなすしかなく、仕事は選べる訳もなく、日付が変わる毎日。『こんな筈じゃなかった』・『しんどい』を繰り返し、そんな時に師匠と出会う。