実施理由/背景
戦火を免れた「現存する唯一の仙台藩伊達家ゆかりの茶室」が山元町に。
宮城県山元町に所在する建造物「茶室」は、江戸時代の天保3(1832)年、伊達家28代(仙台藩12代藩主) 伊達 斉邦(だて なりくに)が、家臣 大條 道直(おおえだ みちなお)に与えた茶室です。大條家は、室町時代に伊達家から分かれた家系で、伊達家8代宗遠の三男 宗行を祖とします。代々伊達家に仕えた重臣であり、元和2(1616)年に伊達家17代政宗より亘理郡坂本(現在の山元町坂元)を拝領。以後、明治維新までの約250年間この地を治めます。仙台藩家格制度の頂点「一門」の次の「一家」に所属し、藩政の最上位「奉行職(他藩の家老)」を歴任した家柄で、幕末戊辰戦争時の仙台藩の降伏・戦後処理も担当しました。大條家が拝領した茶室は、昭和初期まで仙台の大條邸で保管されてきましたが、昭和7(1932)年に大條家の居所・山元町の坂本要害(通称:蓑首城)の一角に移築されます。その後、昭和20(1945)年に仙台大空襲が発生。仙台中心部が焼け野原となり、藩政時代の数々の建造物が焼失します。その結果、仙台藩の上級武士層が所有した茶室うち、現存するのはこの山元町に移設された大條家所有の茶室のみとなったのです。